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「暮らしをつくる」ということ

· 取材メモ

TURNSの最新号で「暮らしのつくりかた」という特集を担当した。

そのせいか、最近になってやっと「暮らしをつくる」ということが実感を持ってわかってきた、気がする。たとえば、いつもはなくなったら「また買わなくちゃ」と思っていたものを、「もしかしたら自分でも作れるのかもしれない」と思ってみたり。その視点があるかないかは、私のなかではとても大きい。

平成の世に東京の真ん中で生まれ育った私は、作り手とあまりにも離れ、消費することばかりだった。それがメディアの仕事をするようになり、作り手さんと出会う機会が増えた。野菜や米をつくる人、味噌や醤油をつくる人、洋服をつくる人、空間をつくる人…。どの人もつくることへの思いが深く、熱く、とてもかっこよく見えた。そして、ものを大切に使おう、使わせていただこうと思うようになった。

ここまではあくまで「使い手」の目線だったが、徐々に「作り手」側にまわろうと意識が向くようになる。

今回の特集の取材で、長野県諏訪市にあるRebuilding Center Japan、通称「リビセン」を訪れた。空き家が増えている今、解体される古い民家や建物から、木材や建具、また古道具などを回収し、リビセンで販売している。リビセンの1Fにあるカフェには廃材を使ったテーブルや椅子、扉などがあり、捨てられるはずだったものがもう一度活用されていた。ここにいると、なんでもつくれるような気持ちになってくるから不思議だ。

取材では古材を使うものづくりについて聞くはずだったが、そもそも、ものづくりとは単に何かをつくることだけではなく、ものをすぐに捨てないで何かに使えないか考えることからはじまる、という話を聞いて、ものづくりの前提から私は勘違いしていたのかも、と思った。

ほかにも取材では空間や人間関係のつながりをつくっている人たちに会い、話を聞いて、どんどん「つくること」の意識が深まっていった。

暮らしをつくることは、生きるうえでの基本に戻ることだと思う。

食べ物やエネルギー、洋服、家、家具など。全部お金を払って誰かにつくることを任せていたけれど、それを自分の手元に取り戻す作業なのかもしれない。もちろん、すべてを自給することは難しいし、そのつもりはない。ただ、できるだけ自給できるものはつくり、できないものは顔の見える人にお願いしたい。そうした小さなことでも、積み重ねていくと生かされている実感を持てるのだと思う。